アデルの恋の物語

アデルの恋の物語

L' Histoire D' Adele H.

2013年12月23日 DVD

(1975年:フランス:98分:監督 フランソワ・トリュフォー)

 ルキノ・ヴィスコンティ監督の『地獄へ堕ちた勇者ども』をDVDで再見したのは、高校生の時観て、そのすごさがわからなかったから。

この『アデルの恋の物語』も高校生の時観て、この映画の場合はショックを受けました。

狂気に至るまで、一人の男に固執する女の怖さに。

まるで、高校生の時の自分を戒めるかのように、ついDVDで、あ。この映画は今の年で、もう一度観ないと!シリーズになってしまいました。

 文豪と言われたヴィクトル・ユゴーの次女、アデルをイザベル・アジャーニが演じていますが、最後の最後まで美しいのね。

ただし、冒頭、好きな男、イギリス人のピントン中尉を追いかけて、カナダのファリファックスに着いた時からもう、アデルは「嫌われている」

ラブストーリーではなく、あくまで「恋の物語」

アデルは美しい人ではあるけれど、美人ではないのです。

外見が美しいイコール美人と、わたしは思わないのだけれど、美しいイザベル・アジャーニの追いかけ、嫌がらせ、思い込み、

他の人物への冷たさは、これは醜いのひとことなんですよ。その醜さを壮絶な美しさに昇華させていて、これぞ映画の醍醐味とすら思ったな。

 教養は確かにあるかもしれない。けれど、やることすべてが愚かで、醜い。

そんな姿をイザベル・アジャーニの壮絶な美しさで、ぐいぐい迫らせるのね。

はっきりと「君の愛はエゴイズムだ」とピントン中尉に言われても、いや、わたしが愛しているのだから、彼もわたしを好きであるはず、そうでなければいけない、そうでなければ納得いかない、その為には何でもする。

 アデルというのは何度も出てきますけれど、自分で金を稼ぐということはしません。

親に手紙を書いて、金の無心をひたすらする。その度に現実とは違う「自分に都合のいい嘘」を本当と思い込み、手紙に書き綴る。

そのカリカリと紙を何枚も熱に浮かされたように書き綴るのが殺気立っていて、すごいと思う。

 凡人のわたしだったら、もう、傷ついて終わりのところ、アデルは強い。

19歳で亡くなってしまった姉の影から逃れられず、自分は幸せに、そして「求められて」結婚しなければならないという

強迫観念がだんだん目に出てくるのね。

その一線を越えたのが、「眼鏡をかける」でしょう。

アデルはさんざ、ピントン中尉にあの手、この手で迫るけれど、もうピントン中尉からしたら鬱陶しいばかり。

自分の道を邪魔する女、ただ、それだけです。

最初は、きれいなドレスを着なければ・・・という着飾ることをするのだけれど、途中から急に眼鏡をかけだす。

このあたりから、少しずつですが、身なりに構わなくなってくるのね。その課程がすごく繊細で丁寧。

 壮絶なものを本当にきれいに映画にしているのに感心しました。

とても映像はきれいで、テンポも良く、観る者を惹きつける。それがたとえみっともない、ただの思い入れだとしても。

ここまでやりつくすといっそのこと、最後、突き抜けてすがすがしいとすら思うのですね。当然、こういう人は怖いとは思うけれど、ただ嫌なものにはなっていません。こんな恋は凡人にはできない。それがよくわかる映画。

 前半、ピントン中尉と間違えてしまう中尉の役を、フランソワ・トリュフォー監督自身が演じていて、ちょっとしたカメオになってます。

遊び心は一切ないから、可笑しいとは思わないけれど、何気なくさっと姿を見せたトリュフォー監督がいいですね。

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