6才のボクが、大人になるまで
BOYHOOD
2015年2月14日 TOHOシネマズ有楽座にて
(2014年:アメリカ:165分:監督 リチャード・リンクレイター)
構想10年とか、映画や本にありますが、撮影に12年かけたドキュメンタリーではない映画って考えてみれば
初めてかもしれません。
アメリカ、テキサス州に住む6才のメイスン(エラー・コルトレーン)という少年が、高校を卒業する18才までを
本人が成長するのにあわせて撮影していった・・・つまり、6才から撮影が始まり、18才になるまで続いた訳です。
主人公は男の子のメイスンですが、同時に、母(パトリシア・アークエット)、姉、サマンサ(ローレライ・リンクレーター)
2人の子どもの父、イーサン・ホークも成長または年をとっていく、という訳です。
6才のメイスンですが、両親はすでに離婚しており、母、オリヴィアが2人の子どもを引き取っています。
2週間おきに父と会うという約束になっていて、父と会う日を楽しみにしているまだまだ幼い姉弟。
父は調子が良いが、アラスカに行っていて、無職で親権はありません。
母は、大学で学び直して教職をめざす、といいヒューストンに引っ越してしまいます。
大学に行くようになった母が出会った大学教授と再婚しても、義父は厳しいあまり、ヒステリックになり
アルコール依存から暴力をふるうようになり、逃げ出すように離婚。
また、懲りずに元軍人と再婚しても、上手くいかず、離婚。
再婚、離婚、子育て、キャリアアップを目指して勉強、念願の教職・・・実はこの映画、母、大奮闘なんですね。
パトリシア・アークエットが体型がもう「西洋人のおばさん体型」そのもので太っている、というのが
ものすごくリアルでした。
メイスンはどちらかというとおとなしくて、あまり自己主張がないのですが、父が変わる度によく、ぐれないなぁ、と
思うくらいいい子です。それでも、6才から、思春期のニキビだらけの中学生になり、高校生になり写真に目覚め、
恋人、失恋、酒、車・・・だんだん骨っぽい青年になっていくのですね。
実の父とは定期的に会っていますが、むっつりと喋らなくなる時期もあれば、男同士の話ができるようになる時期も
やってきます。
今、特撮やメイクでいくらでも年取ってみせたりすることは可能なのですが、この映画に出てくる人びとは
ドキュメンタリーのように実年齢を重ねていく。
若い子どもたちは、大きくなったねぇ、ですみますが、父、イーサン・ホークと母、パトリシア・アークエットは
年とったなぁ、、としみじみしてしまいます。
パトリシア・アークエットが、高校生になったメイスンに「もう、朝食の皿を洗わせないで」と言う所や
高校卒業で、「子育ては終わり。これからはやりたいことをやるわ」と言う割には「子育てが終わったらもう葬式しかない」
と涙ぐむところがとてもよかったですね。苦労してきた女の人の正直な言葉でぐさり、ときます。
また、父は父で再婚して子どもが産まれますが、2人の子どもを大学にまでやってくれたのに感謝する、と
言う所も涙が出てしまう。
私は子どもがいないから子育ての実感がないし、結婚離婚もしていないから、実感度が低いかもしれません。
しかし、この映画は特別な事件は何も起きないのです。
一瞬を大切にする、というのはおかしいよ、時間は一瞬の連続なんだから・・・というメイスンの言葉通り、
一瞬、一瞬何がおきても、それは「ある事件」なのです。
テレビを見た、食事をした、パーティをした、けんかをした・・・そんな事のつみかさねが日常なんだ・・・って
思いました。
また、12年という年代を現すのに、ハリー・ポッターの新刊発売が大騒ぎのコスプレ騒動だったり、ゲームや
パソコンからスマートフォンへの流れの変化など世相を事件ではなくやはり日常で現しているのがとても
丁寧な映画です。165分もあったんだなぁ。なんか、監督他、関係者にご苦労様です、って言いたい気分。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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