こうのとり、たちずさんで

こうのとり、たちずさんで

To Meteoro Vima Pelargu(The Suspended step of the stock)

2004年7月12日 東京国際フォーラム ホールD 1991年ギリシャ=フランス=スイス=イタリア:142分:

監督 テオ・アンゲロプロス

今回開催されたテオ・アンゲロプロス映画祭で未見だった『こうのとり、たちずさんで』をスクリーンで観られて本当に良かったと思います。

ビデオ・DVDが出ているもののアンゲロプロス監督の映画(だけ)は、スクリーンで「体験」しないと本当の良さは身に沁みてわからないとも。

1975年の『旅芸人の記録』が日本公開されたのは1979年岩波ホールでのこと。何も知らずに観に行った私は「映画のすべて」に魅せられて「いい映画だった」ではなく「なんという経験をしてしまったのだ・・・」と約4時間の映画が終わってもまだまだこの映像、この世界が永遠に続いて欲しい・・・と願いました。

今でも強烈な印象が残って、それは終わることなく私の中にずっと「アンゲロプロスの風景」というフィルムは回り続けていたのだ・・・何故、自分が映画を観続けているのか、今回わかりました。私は次々と観る映画の中にアンゲロプロスの風景を探していたのです。無意識に。

そういう経験は一般人の私以上に今、映画を作る人たち、40代~の監督たち、フィルム・メーカーたちに刻印されているのでしょう。共感を覚える映画、シーンにはアンゲロプロスの影を見ているのですから。

アンゲロプロス監督の映画はビデオで『ユリシーズの瞳』『霧の中の風景』を観たのですが、その完璧なまでの映像、撮影、音響の素晴らしさは、ビデオでは半分も汲み取る事が出来なかったことに気がつき、それを悔やみました。

この映画祭は大変好評で、私は前売券は『こうのとり、たちずさんで』を買って、あとは様子を見てから・・・と考えていました。

作品の数はそう多くないので、繰り返し上映されるし・・・しかし、このあとの上映はほとんどチケット完売。私が2時間前に整理券をもらった時点で60番というのにびっくりしました。(上映はキャンセル待ちが出て、立見)

PFF(ぴあフィルムフェスティバル)の特集上映でもあるため、若い映画を目指しているような人たちで一杯でした。

物語の前に、アンゲロプロスの映画には「人間」がいる、ということだけで完璧なのであり、これを(ビデオで、テレビ上映で観て)「難解、退屈」と言ったり、書いたりして決め付けた人を怒る気にはなりません。可哀想だと思う。この素晴らしい映画体験が出来なかった可哀想な人。

公式パンフレットによせた黒沢清監督の言葉が私の気持ちを端的に現していました。

「映画を志す全ての若者にアンゲロプロスをすすめる。どうにかして人生を変えたいと思っている人にもすすめる。今のままでいい、十分だ、何ひとつ変わってほしくないと思っている人にはすすめない。」

私はビデオ、DVDでアンゲロプロスの映画を観る気はありません。何年かかっても次のスクリーンでの上映を待ちます。 

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