ラブドガン loved gun

ラブドガン loved gun

2004年7月8日  テアトル新宿にて 2004年日本:111分:監督 渡辺 謙作

荒戸源次郎事務所出身、鈴木清順監督『夢二』で助監督をしたというのは納得のいく映像の数々。

銃というものをクローズアップさせて人間の欲や感情を象徴化させる作り方・・・『殺しの烙印』へのオマージュのようですね。

銃を打つのはあくまでも人間であり、それを持ち、撃つ人間の感情により銃弾の色が悲しみの青、憎しみの黒、恐怖の黄色、そして赤と変わる。

それは理屈にはない感情の色というものなのだ、ということを上手く表現していますね。

だから殺し屋とはいえその銃弾が何色になるか、はっきりとは断言できない曖昧さ。その曖昧さを体現しているのがまだなんにも知らず、出来ないくせにただぶいぶい文句言ってる若造、新井浩文です。なんにもわかっていないくせに、口だけは大きくて、わめくさけぶ前半の負け犬ぶりがいいですね。

それに反して経験のある殺し屋、岸辺一徳(老人)と永瀬正敏(大人)はぼそぼそ・・・とした口調で逆に曖昧なことしか言わないのですね。

銃を打てば、どんな気持ちかは解る人には解るのだから、相手に言葉で説明する必要はないのです。

映像、色、物へのこだわりがよくわかります。

映像でカメラで二次元、三次元をこえたことを工夫しているのはなかなか観ていて興味深いです。「上手い工夫だなぁ~」って解ってしまうところが、(鈴木清順監督の)ひたすら「凄いなぁ~」の迫力、広がりまでは行かないのですが、その分画面構成はきっちりしていて完成度、純度の高い映像。

宮崎あおいは『ユリイカ』でも似たような役でしたが、若くして喪失感がにじみ出す呼吸をしているような「少女」

永瀬と宮崎、岸辺と新井の2組が交互に描かれるのですが、それがひとつになるまで・・・を無理に事件とか復讐とか俗っぽい設定なくして、殺し屋たちの気持ちのちらばりをきっちり暴走させてくれればますます良かったかも。

「もし自分が10歳若かったら種田(新井浩文)の役をやりたかった」と永瀬君が言っていましたが、それだったら年の順に内田裕也→塚本晋也→永瀬正敏でやって欲しいものです・・・なんてね。

印象深いシーンはたくさんありますが、ラストクレジットの4人の姿が(歩く速度の違いが)とても好きだったりします。

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