イズ・エー[is A.]
2004年10月14日 渋谷 ユーロスペースにて
(2003年:日本:109分:監督 藤原健一)
このタイトルは少年Aとされる少年犯罪犯人について・・・What is A? Who is A? Where is A?この3つの問いの共通部分をとったものです。
犯罪を犯した少年Aが捕まって少年法に守られて4年で出所、果たして更正は出来るのか、犯してしまった罪の贖罪は誰がするのか、誰ができるのか、どうすれば出来るのか、という社会的な問いと少年Aとは何なのか、誰なのか、どこにいるのか?という新たに発生した事件のサスペンスの要素と2つの流れがあるのがこの映画が単なる社会問題摘発映画でなくしていると思います。
そして更に、加害者の父(内藤剛志)と被害者の父(津田寛治)、加害者の父と少年Aである息子(小栗旬)、少年Aと被害者の父の葛藤・・・この3つの葛藤を平行して描いていますね。
この、内藤剛志、津田寛治、小栗旬の3人の演技バトルの火花散るという迫力ありますし、映画の趣旨にきっちり応えて見事に演じきった3人、凄いものがあります。
内藤剛志は息子の更正を信じたい、津田寛治は時間が経っても傷は癒えず許せない、またたった4年での更正には疑問を持っている、そして不透明な不気味さと利発さをあわせもつ小栗旬。
新たに発生してしまった事件をきっかけに、息を潜めて生活していた大人2人の内心には新たな疑惑がわきおこる。
そして、なかなか本性を誰にも見せない少年に、大人の怒りが爆発する後半。
我慢して辛抱している大人達をを見越すかのように超然としている少年、小栗旬の醸し出す不透明感と静けさと落ち着きは、今の少年犯罪の「ある姿」を体現しているようです。銃を持って、小首をかしげる小栗旬の一瞬の表情に傲慢でも憎悪でも怒りでもない、一種の早すぎた英知の哀しみを感じてしまいました。
監督が脚本以上に小栗旬が、儚さ、切なさを含めた少年の危うさを見事に演じてくれて、その演技力に助けられた・・・といったコメントをしていますが、役者の芝居をこれだけしっかり撮ることを徹底した映画は私は好きです。
そして犯人が捕まってしまえばそれでおしまい、なのではなくてその後、その先を見越した監督の視線はとても鋭いものがあります。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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