トロピカル・マラディ

トロピカル・マラディ

Sud Pralad(Tropical Malady)

2004年11月23日  有楽町朝日ホールにて(第5回東京フィルメックス)

(2004年:タイ=フランス=イタリア=ドイツ:118分:監督 アピチャッポン・ウィーラセタクン)

冒頭、中島敦の『山月記』の引用があります。そしてジャングルの中を全裸で歩いていく男性。

前半はタイの農村で恋人同士の兵士、ケンともと兵士で今は無職の青年、トンのささやかで、微笑ましい様子が描かれます。

男同士の恋人とはいえ、周りの目が厳しいとか、そういうこともなく、2人は食事をしたり、洞窟を一緒に見に行ったり・・・特に障害もなにもない2人です。トンの母親が、ケンが恋人とわかっても子犬を抱いて「もう、犬も鳥肌だよ」とは言いますが、責める様子もない。

その2人が出会う人々との世間話の中で、「強欲は身を滅ぼす」といった挿話が出てきます。

そして突然、話は後半の「魂の通り道」という別の映画になります。ケンを演じた青年が森林警備兵士として夜のジャングルで出会ったものは・・・・虎になってしまった全身刺青をした全裸の男、それが前半ではトンだった青年。

さて、このジャングルの様子がとても美しく、怖いのですね。森林警備兵士が、野獣に殺されたような牛を見つけて、ジャングルの中に入っていく。そして夜を迎える。周りは静かではなく、ジャングルの音に囲まれています。木の音、鳥の声、風の音、動物の鳴き声・・・そういったジャングルという迷宮に音で引き込んでしまう。

兵士は、最初、人間の裸足の足跡を見つける・・・・人間の手の跡を見つける・・・そして先にあるのは猛獣の足跡。

森にすすむと突然猿が、キィキィと話しかけてきて、字幕で(っていうところがすごい)兵士に哲学的な問いを発する。

兵士と虎になってしまった人間は対面するのですが、危害を加える様子もなくただ哀しい顔をするばかり。

実際の虎は出てこなくて、刺青をした男がひたひたと兵士に近づいてくるのです。

前半と後半のつなぎ目は唐突ではありますが、全編見終わってみると、前半の2人の関係は、後半のジャングルで出会ってしまう人間と虎という深い溝のある関係だったのではないか、と思うのです。ジャングルの中で、ひたすら見つめ合う2人は前半の仲の良さは感じられない。

どうしても近づけない。話しかけられない。触れられない。距離を置いてしか共存することのできない関係。ジャングルというのは前半と後半のストーリーを鏡で映し合っているように思えます。

監督は『山月記』からこの映画を思いついたのではなく、たまたま、脚本を仕上げたとき、この小説を知って英語に訳されたものを読んで、驚いたと同時に嬉しく、映画に引用する許可を得たということです。

また一番、気をつけたのは音響。ジャングルの自然音を採集しただけでなく、そこにシンセサイザーを使ってより、リアルで幻想的なジャングルの世界を音で作ろうと苦心したとのこと。映画ならではの表現にこだわると話している監督の意図がよくわかる音なんですね。

『山月記』とは中島敦が中国の伝承を短編小説にしたものです。浅はかな欲を隠し持っていた官吏が行方不明になってしまう。その友人が後に山で虎と遭遇すると、その虎は友人の官吏であった。虎としての自分、人間としての自分、両方を持ち合わせて野生の欲と人間の欲が捨てきれないという身になってしまった、というものですね。

本当にこの映画は、『山月記』に類似したテーマを持っています。『山月記』も短編ながらとても美しい文章ですので、この映画の参考に読まれるといいかもしれません。 

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