さゞなみ
2005年2月1日 ビデオにて
(2002年:日本:112分:監督 長尾直樹)
とても写真的な映画です。どのシーンもきちんと構図を考えた奥の深い、美しい一枚の写真の連続のようで。
撮影は写真家としても活躍している藤井保という方だそうで納得の行く映像の美しさです。手持ちカメラは使わず、固定した映像の中で息づく人々の姿をアップを極力控えてとらえます。そしてタイトルのように水面に映る風景が小さなさざなみにゆれている映像がたくさんはさまれています。とても綺麗です。
冒頭、山奥の渓谷で1人で水質検査をしている女性、稲子(唯野未歩子)の姿を美しく映します。そしてとうとうと流れる渓谷の水が映し出されます。そして山の道を1人で歩く、1人で誰も乗っていない電車に乗って帰る、アパートで1人で慎ましく食事をとる稲子・・・という風にひとりでいる女性の姿が出てくるのですが、そこには寂しさはありません。
20代(話の流れから26歳だとわかりますが)の女性が「ひとりでいる」姿は、寂しいとかわびしいとか・・・そんなネガティブなイメージは全くなく、ひとりでいるということを孤独よりも自由ととらえているような雰囲気を持っています。豊かな孤独を選んでいる、という姿。
では、稲子は社会生活が出来ない自閉者か、というと市役所の水質管理課に勤め、同僚と話し、母や親戚などともきちんとつきあいをして他人との関係もきちんととれる。
ただ、群れてはしゃいだり、騒いだりしないだけのひとりの女性です。
映画は静かに静かに進み、亡くなっていたと聞かされていた父がブラジルで生きているらしい、という手紙から母(松坂慶子)との関係、そして山奥の温泉地で出会った男、豊川悦司に静かに惹かれていくという物語がとても静謐で美しく、慎ましい。
出てくる人皆、普通の人であり、特別な人は出てこないけれど、人と人との間にはいつもある一定の距離があり、余計な無駄な会話は一切ありません。
山形の米沢市で1人暮らしをしている稲子が盆休みに母のいる和歌山の実家に帰り、母と娘は山奥の温泉旅館に小旅行します。その温泉旅館のたたずまいと周りの風景がまた美しいです。
山形の市役所で親がわりをしている叔父(きたろう)が、おとなしい稲子を心配してお見合いの話などを持ってきますが、稲子は過去に色々あるらしい男、豊川悦司に惹かれていく、しかし胸の内は誰にも話さない。傷ついても、誰もいない所でひとり涙を流す。
それは、父(夫)の不在に耐えてきた母も同じ。温泉旅館でたまたま稲子が見てしまった母の泣く後ろ姿。誰にも頼らず生きる姿をこれほど美しく描いた映画は他にないですね。
風景は都会を極力避けて緑と水に囲まれた風景ですが、夏の話なのに暑さが全く感じられない、そんな冷たい夏。
恩人である耳鼻科の医師の岸部一徳が、稲子に「患者さんで耳鳴りがする、という人が多いけれど検査をしても何もない。でも患者さんは音がする、音がする、と言う。その音を聞くことができない自分がとても遠い所にいるようで寂しく思える」と話します。
ひとり静かにしていればその胸の内の声は、なかなか聞くことはできない。言いたいことがあっても、言わずに胸の内に秘めていることの強さと切なさ・・・この映画の雰囲気をあらわしているようでとても印象に残りました。
稲子役の唯野未歩子のたたずまいがいいです。ショートカットに細い体、少年のような女性。豊川悦司の荒々しさと繊細さを両方秘めているような姿。母、松坂慶子の静かなゆったりとしたしぐさと話し方。
慎ましさというのはひとつの美徳であり、決して暗いのではない、そんな人間のとらえ方がとても好きです。
2005年2月1日 ビデオにて
(2002年:日本:112分:監督 長尾直樹)
とても写真的な映画です。どのシーンもきちんと構図を考えた奥の深い、美しい一枚の写真の連続のようで。
撮影は写真家としても活躍している藤井保という方だそうで納得の行く映像の美しさです。手持ちカメラは使わず、固定した映像の中で息づく人々の姿をアップを極力控えてとらえます。そしてタイトルのように水面に映る風景が小さなさざなみにゆれている映像がたくさんはさまれています。とても綺麗です。
冒頭、山奥の渓谷で1人で水質検査をしている女性、稲子(唯野未歩子)の姿を美しく映します。そしてとうとうと流れる渓谷の水が映し出されます。そして山の道を1人で歩く、1人で誰も乗っていない電車に乗って帰る、アパートで1人で慎ましく食事をとる稲子・・・という風にひとりでいる女性の姿が出てくるのですが、そこには寂しさはありません。
20代(話の流れから26歳だとわかりますが)の女性が「ひとりでいる」姿は、寂しいとかわびしいとか・・・そんなネガティブなイメージは全くなく、ひとりでいるということを孤独よりも自由ととらえているような雰囲気を持っています。豊かな孤独を選んでいる、という姿。
では、稲子は社会生活が出来ない自閉者か、というと市役所の水質管理課に勤め、同僚と話し、母や親戚などともきちんとつきあいをして他人との関係もきちんととれる。
ただ、群れてはしゃいだり、騒いだりしないだけのひとりの女性です。
映画は静かに静かに進み、亡くなっていたと聞かされていた父がブラジルで生きているらしい、という手紙から母(松坂慶子)との関係、そして山奥の温泉地で出会った男、豊川悦司に静かに惹かれていくという物語がとても静謐で美しく、慎ましい。
出てくる人皆、普通の人であり、特別な人は出てこないけれど、人と人との間にはいつもある一定の距離があり、余計な無駄な会話は一切ありません。
山形の米沢市で1人暮らしをしている稲子が盆休みに母のいる和歌山の実家に帰り、母と娘は山奥の温泉旅館に小旅行します。その温泉旅館のたたずまいと周りの風景がまた美しいです。
山形の市役所で親がわりをしている叔父(きたろう)が、おとなしい稲子を心配してお見合いの話などを持ってきますが、稲子は過去に色々あるらしい男、豊川悦司に惹かれていく、しかし胸の内は誰にも話さない。傷ついても、誰もいない所でひとり涙を流す。
それは、父(夫)の不在に耐えてきた母も同じ。温泉旅館でたまたま稲子が見てしまった母の泣く後ろ姿。誰にも頼らず生きる姿をこれほど美しく描いた映画は他にないですね。
風景は都会を極力避けて緑と水に囲まれた風景ですが、夏の話なのに暑さが全く感じられない、そんな冷たい夏。
恩人である耳鼻科の医師の岸部一徳が、稲子に「患者さんで耳鳴りがする、という人が多いけれど検査をしても何もない。でも患者さんは音がする、音がする、と言う。その音を聞くことができない自分がとても遠い所にいるようで寂しく思える」と話します。
ひとり静かにしていればその胸の内の声は、なかなか聞くことはできない。言いたいことがあっても、言わずに胸の内に秘めていることの強さと切なさ・・・この映画の雰囲気をあらわしているようでとても印象に残りました。
稲子役の唯野未歩子のたたずまいがいいです。ショートカットに細い体、少年のような女性。豊川悦司の荒々しさと繊細さを両方秘めているような姿。母、松坂慶子の静かなゆったりとしたしぐさと話し方。
慎ましさというのはひとつの美徳であり、決して暗いのではない、そんな人間のとらえ方がとても好きです。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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