陽のあたる場所から

陽のあたる場所から

Stormy Weather

2005年2月1日 日比谷シャンテシネにて

(2003年:フランス=アイスランド=ベルギー:90分:監督 ソルヴェイグ・アンスパック)

医者と患者というのは、立場が違うのですね。これは親と子でもない、上司と部下でもなく、教師と生徒でもない、もっと微妙で溝の深い立場の違いです。

監督はフランスで精神病理学を学んだ人ということですが、統合失調症などの描き方はとてもリアルなのですが、若い研修医コーラがある女性患者を受け持って、やっと心を開いたか、治療の効果が出たか、と思った矢先、アイスランド人だとわかり、強制送還されたのに納得いかず、アイスランドへ向かう、という行動は、医者としての立場がわかっていないようにも思います。

医者が患者ひとりひとりにそんなことはやっていられないのが現実なのです。

この設定だけで、ちょっと非現実的なファンタジーのようにも思えます。

コーラは、患者を救えるのは自分しかいないという確信を持っているわけですが、初めて訪れるアイスランドの冬の風景はそんなコーラの希望的観測をばっさり拒絶します。

同じ冬とはいえ、前半のフランスの明るい冬から、後半の嵐が吹き荒れ火山の国で、緑も少なく寒々しいアイスランドの冬の光景という対比のさせ方がとてもくっきり陰影を出しています。アイスランドの吹雪が吹き付ける荒れた暗色の海。切りたった断崖。海辺にはりつくように建っている家。明かりの少ない街。原題のstormy weatherそのもの。

フランスで仕事を持っているコーラの陽とアイスランドで魚加工工場で働きながらも、精神不安定にふりまわされる患者の隠です。

そしてロアという名前だったとわかる患者が、病院でなくもう普通に暮らしている・・・しかし、状態は悪くなっているのに、誰も何もしようとはしない。ただ、連れ戻しただけ、というのになんとかしようとするのですが、人々の気持ちの壁は厚く、また心を閉ざしてしまったロアに対して、確信が持てなくなってしまうコーラ。

人と人、ましてや違う国の人同士の間に横たわる溝、というのは色々な映画で語られているのですが、この映画は女同士として、医者として、友人として・・・どんなに片方だけが近寄ろうとしてもそれだけでは無理なのだ、ということをしみじみ描いていますね。しかし、最後、ロアとコーラがアイスランドのめずらしく晴れた日の日だまりに無言で並んで座るだけで、コーラの熱意は無駄ではなかった、という救いも描いています。

コーラは、とても洋服のセンスが自然だけれども若々しい。しかしロアは、演じたのはアイスランドの詩人で、これが初出演というディッダ・ヨンスドティルですが、目の粗いざっくりとしたセーターや質素な厚手の服という対比のさせ方も女性監督らしい、細かさです。

これをただの暗い映画、で切り捨ててしまうのはどうか・・・と思います。たしかに楽しい明るい「話」ではないかもしれないけれど、他人の心の中の闇をなんとか見つめようとする1人の若い女性の姿はとても心強いものがあります。

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