ヴェラ・ドレイク

ヴェラ・ドレイク

Vera Drake

2005年7月21日 銀座テアトルシネマにて

(2004年:イギリス=フランス=ニュージーランド:125分:監督 マイク・リー)

マイク・リー監督の『秘密と嘘』は、過去の自分の秘密を嘘をついて暮らしているひとりの女性が秘密と嘘を、告白するという痛みを乗り越える映画でした。

この『ヴェラ・ドレイク』も一種の秘密と嘘・・・かもしれません。

人間には、秘密と嘘というのはつきもの、秘密と嘘のない人なんていない、そんな人間の中にある、「罪」というものをさらけ出すことによって、人間がタフになっていく、という課程が実にじっくりしているのです。

普通の生活をしている人々を描いているだけなのに、観客はその成り行きに固唾を飲んで見守ることになる・・・全く無駄のない迫力で、観ているものを黙らせる力というのは、凄いものがあります。

マイク・リー監督は今回もマイク・リー・メソッドという演出方法をとって、6ヶ月かけて、物語を完成させていったそうです。

俳優は、監督から自分が演じる役柄以外の事は事前に知らされず、リハーサルを行い、ディスカッションを繰り返し、即興劇を行い、その時の俳優達の感情を演技に盛り込んでいくというものです。

1950年のロンドン。まだまだ戦争の傷跡が人々の心に残っている下級階層のある家族。

母であり妻であるヴェラは、金持ちのメイドをしながら、家族だけでなく近所の困った人の面倒もよくみる人。

しかしヴェラは、その人助けの気持ちから、罪にあたることを家族に内緒で行っていた・・・・決して悪意からくる「罪」ではなく、善意からくる「罪」・・・そしてその秘密が警察に見つかり、犯罪人となってしまう。

呆然とする家族、夫、息子、娘、娘の婚約者。身内から「犯罪者」を出してしまったことへの怒りと戸惑い・・・そんな状況になってしまったら、家族はどういう行動、言動に出るのか・・・責める?かばう?ひたすら嘆く?

主人公、ヴェラ(イメルダ・スタウントン)が中心ではありますが、周りの人々の心境というのもスクリーンから、ひしひしと訴えかけてくるのです。

もちろん、観客である私達は、ヴェラという人の善意を見ているから、たとえそれが社会的には「罪」であっても、心情的には「人助け」なのだ、ということがわかるのですが、それがわからない警察の人々は?

映画は決して甘くはなく、当時のイギリスでは当然の処罰というものを描きます。

昔、身内から、「自分達の生活に傷を残すような真似だけは絶対しないでよね」「家族に恥をかかせるな」と何も知らないくせに、全く無神経な事を言われた事があって、身内に何かあっても自分達の保身しかない、そんな現実の苦い経験からして、ヴェラの家族のそれぞれの気持ちはよくわかるし、都合の良いときだけ身内・・・そういう事は今の時代でもない現実。

そんな現実をまだまだ、古い因習の時代を舞台にして、くっきりと描き出してみせたマイク・リー監督とその演出にしっかり答えている俳優さんたちに脱帽します。

観ている観客は、本当に固唾を飲んで、映画の成り行きを見つめるという、映画への集中力を引き出すということにも感心。

これは家で、ひとりでDVDで観てもわからない空気でしょう。映画館で観てよかった映画です。

美術、撮影、音楽もとても重厚で、ヴェネチア映画祭で、グランプリ、主演女優賞受賞は納得なのですが、美術賞にたくさんノミネートされていたのも納得です。

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