カーテンコール
2005年8月15日 イイノホールにて(試写会~GTFトーキョーシネマショー)
(2005年:日本:111分:監督佐々部清)
最近知ったのですけれど、今は消防法でいわゆる「立見」は出さないのだそうです。
映画で言うなら全席指定、各回入れ替え制・・・が浸透しつつある今では、この映画に出てくる昭和30年代の映画館の盛況ぶりというのは想像できない光景でしょう。
映画が全盛期と言われるのは昭和40年代前半までで、それからはテレビがとってかわる訳です。私は年齢的にテレビ世代なのですけれど、たまに行く映画館は、まさにこの映画に出てくるような映画館でした。
後の方に立見がぎっしりいて、扉が開かないような状態。そんな中で夏休みに『ガメラ』『怪談』など観た記憶があります。子供だからって席をゆずってくれる訳でなく、うしろにある鉄の棒にぶら~~~とオランウータンみたいにぶらさがりながらも映画を楽しんでいたのです。
この映画は、佐々部清監督出身の山口県の下関のある映画館の物語・・・・ではなく、あくまでも現代のジャーナリストをめざす女性(伊藤歩)が、訳あって東京から福岡に左遷され、取材することになった、映画全盛期に映画の幕間に声帯模写や歌で観客をわかせていた芸人さんを追うというのがメインの物語。
今はさびれたみなと劇場を訪れる伊藤歩。そこでは、『あの子を探して』と『ブエノスアイレス』の二本立てをやっている。(うしろにはちゃっかり『チルソクの夏』のポスターが・・)客はちらほら・・・映画館はぼろぼろ。でも売店の女性(藤村志保)から、昭和30年代の映画の盛況ぶりと、映画が好きで好きでたまらない映画館に勤めていた一人の青年(藤井隆)の話を聞くことが出来る。
そして『あの子を探して』のように伊藤歩は、この映画が好きで映画館のためには何でもやって、映画の幕間の芸人になった青年とその家族を捜して歩くことになります。
同じチャン・イーモウ監督の『初恋のきた道』は、現代がモノクロで、過去がカラーだったのですが、この映画は過去はモノクロで現在はカラー。また、現代の伊藤歩がカラーで映画館に入るとそこは30年代の映画館内、伊藤歩だけがカラーで周りがモノクロになったりと・・・とても過去と現在の描き分けをよく考えていると思うのです。
しかし、調べる内に色々とわかってくる、芸人一家の姿。映画が衰退して、人出減らし、幕間の芸も人気がなくなって、仕事すら失ってしまう。
さらに、もっと深い問題にも行き当たり、芸人の娘(鶴田真由)を探し出す。
しかし、娘はもう父とは断絶状態だ、会いたくない、今の自分の家族が一番大事だ、父には捨てられた・・・と全く相手にしてくれないし、協力的でもない。
今まで佐々部清監督が、描いてきたもの、「好きという衝動にかられて仕事をする姿」「人種差別という壁」「ばらばらになってしまった家族」「失われた栄光」といった要素がどんどん、広がっていきます。
ここまで大風呂敷広げて、どう映画を終わらせるのだろう・・・と思うくらい色々な糸がからんでいくのですが、それを見事に完結させてしまうのには驚きました。
幕間芸人の若い頃を演じた藤井隆は、主役ではないのですが、存在感があります。映画が好きで好きで、映画館で働けるのが嬉しくて・・・芸もプロというより、歌を丁寧に歌う、という雰囲気の出し方が上手いのです。
好きなことのために一生懸命働く姿と、映画が不況になって仕事をあきらめなければならない時の失望と挫折。
そんな昭和の昔を今時の平成の若い女性が、その姿を追う・・・という構成も上手いと思うし、取材していく内に少しずつ心境の変化や成長を伊藤歩がしっかりと見せてくれます。家族の問題などドラマチックな事の連続で、ドラマチックが止まらない状態ではありますが、ドラマに溺れていないです。描きたいものはきっちり見せる。
昔の映画や映画館は良かったよ・・・というノスタルジィだけでなく、現代にも通じる問題もきちんと物語に取り込むことが出来る、佐々部清監督の思い入れが目一杯伝わってくる映画です。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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