サウンド・バリア
Sound Barrier
2005年11月25日 有楽町朝日ホールにて(第6回東京フィルメックス)
(2005年:アメリカ:107分:監督 アミール・ナデリ)
特別招待作品
とても饒舌な監督、アミール・ナデリ監督です。イランからアメリカに移住しての第4作目。
映画の前にひとこと・・・ということで、「この映画は撮るのも大変だったが、観る方も大変だと思う。これはひとつの音の体験です。それを最後まで見届けて欲しい」といった事を話されました。
モノクロの映画で、最初、黒人の少年の大きな瞳のクローズアップから映画は始まります。
少年は、耳がきこえず、発語が出来ませんが、メモにメッセージを書いて、今は亡くなってしまった母の声を探します。
母はラジオのDJをしていて、亡くなる前に自分の事をラジオで話したらしい、とロジャーという人からの手紙で知ったからです。
クィーンズ地区の貸し倉庫の中で、母の声が録音されたテープをとにかくしつこく探し回る少年を、カメラはぱっぱっぱっと素早くシーンが切り替わるめまぐるしい構成で、えんえんと撮ります。
たくさんの箱に整然と納められたカセット・テープ。それを、ぐしゃぐしゃにして、母の声のテープを探す少年、これが映画の前半ほとんど。
そして、そのカセットを今度は誰かに聞いて、口に出してもらい、その唇を読もうと必死になる少年。
場所が、よりによってトラックや車がどんどん轟音をたてて通り過ぎる橋の上。道行く人々に必死になって、カセットを聞いてもらおうとする、でもなかなか、そんな事をしてくれる人はいない。
やっと見つけた中年男性にも、強気に何度も何度も繰り返して、話を聞きたがる少年。そして母はラジオで人生相談のような番組を持っていたらしい・・・いつもは人の相談だが、今日は私の悩み・・・息子の事を話したい、という声にやっとたどりつきます。
目で唇を読むだけでなく、手をカセットにおいて、振動でも声を聞きたいと、あきらめない、別の言い方をすればとても頑固で強気な少年。
なにが少年をそうさせるのか、説明はありませんが、母の声の断片をやっと聞く事の出来たとき、カセットテープが壊れ、テープは風に舞って、走り去る車にずたずたにされてしまいますが、少年には笑顔が浮かぶ。
説明的な事を一切排した、硬質な映像の連続と、しつこくしつこくある行動を繰り返す、ということを描いています。
確かに、起承転結はっきりとした、スクリーンから、語りかけてくれるような映画ではないです。
しかし、あきらめずに、執拗に自分の欲しい物を得ようとする少年の姿とラストにかけての車の轟音と無音の強弱をつけた音響・・・・まさに映画、映像、音響体験です。
確かに、映画というのは体験です。メッセージが明確な、わかりやすいものであって、娯楽と言われるものでも映画を観る、というのはひとつの行動であり、体験です。
少年のあきらめない姿は、映画を見続ける、何かを続けることへの応援のような気がしました。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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