マジシャンズ(仮題)
Mabeopsa-deul/Magician(s)
2005年11月20日 有楽町朝日ホールにて(第6回東京フィルメックス)
(2005年:韓国:95分:監督 ソン・イルゴン)
コンペティション作品
去年のフィルメックスでソン・イルゴン監督の『スパイダー・フォレスト/懺悔』を観たとき、監督がティーチインで、映画を作る時は、絵コンテから段取りまで、最初にきちんと決めて、アドリブで撮影をしていくということはしていない、と話していました。
そして今年、この『マジシャンズ』では、それをより一層、つきつめて、95分1シーン、1カットという手法をとりました。
森の中にぽつんとある山小屋、ここは1人の青年が「マジシャンズ」というバーにしている。
「マジシャンズ」というのはこの青年が、男2人と女2人、4人で過去結成していたバンドの名前でもあります。女性ギタリストが自殺して、解散してしまったのですが、この山小屋にかつてのメンバーが集まってくる。
しかし、自殺してしまった女性、チャウンも幽霊でなく、何故か当然のように「そこにいる」
そして、一晩の宿を求めて、お坊さんがやってきます。このお坊さん、元はスノボーの選手で、寺を去り、山を下りる所だという。
そして預けてあったスノボーを取りに来たのだといいます。
カメラはまず室内の一階から二階までも、流れるように動いていき、そして、外にも出ます。夜の話なので外に出るとまるで舞台のスポットライトがつくように、ぱっと輝く。
カメラもDVで撮影して、休みなく動くのは大変だと思いますが、それにあわせるこの照明、ライティングの技術も凄いと思いました。
色はとても綺麗で、映画は緊張感があふれています。
しかし、お坊さんを1人入れたことで、3人+1人の閉塞的な物語ではなく、観客を混ぜているというのが、考えているなぁ、と思いました。
ロングショットを多用する映画というのは、意外とたくさんあるのですが、この映画は実験的というよりほとんど挑戦的。映画の限界に挑戦!です。役者さんは、舞台の人を使ったというのは、この映画が、舞台のように切れ目なく続くからで、でもリハーサルは、所々やって、撮影に臨んだといいます。
舞台だと、観客は舞台のどこを見てもいいわけです。しかし映画になるとカメラの視線で一緒になって動いていく体験になるのですね。
この手法はかつて『エミルタージュ幻想』というロシア映画でも使われた手法ですが、リハーサルに一年かけたといいます。
しかし、この映画は、一発勝負!という緊張感が、どんどんじわじわ出てきて、人間関係も変化していくのをじっくり追っています。
娯楽性があるのに、手法は実験的で、舞台的。照明はロケの為、普通の映画撮影に使う2倍の照明を使ったというのも納得です。
私は、外に出て林に出たときの、まばゆいばかりの照明が部屋の電気のスイッチをぱちんと入れたように、ぱっとついて、ぱっと消えるというのが驚いたと同時にとても美しいと思いました。効果的。
映画を楽しむ人も堪能できるのですが、映画を作っている人にとっても大変興味深いだろう、シネフィル的な映画です。
亡霊怪猫屋敷
2005年11月22日 東京国立近代美術館フィルムセンター大ホールにて(第6回東京フィルメックス・特集上映 監督中川信夫)
(1958年:日本:69分:監督 中川信夫)
化猫映画であります。
現代のシーンはモノクロで、そして主人公の医者夫婦が、住む事になった屋敷の因縁話は、綺麗なカラーで撮影しています。
ホラー映画というのは、「びっくりさせる」いきなり何かが、ばっと出てくるというドッキリが、ホラーにつきものになってしまっている気がしますが、あくまでもこれは怪談話。まったりとしたムゥドがいいですね。そして出てくる女性たちが皆、美しい。綺麗。
傲慢な家老に惨殺された、ある一家の猫、タマが「末代までたたってやるぅ~~~」という飼い主の意志を引き継ぎ、家老の屋敷にとりつくわけです。
何故、惨殺されたか、というのが、碁の勝負に負かされてしまった怒りからという、なんという動機だ!って感じなのですが、権力者の気まぐれから不幸になってしまう人々の戯画的な挿話です。
化け猫、タマは、屋敷の老女にとりついて、家老家に復讐をする。しかし、障子の影に猫耳がぴ~んと立ったシルエットと、化け猫、タマに操られてしまう様子も、丸ごと見せないで、上手い具合に日本家屋の仕組みを使って撮影しています。
また『とび助冒険旅行』でもとび助さんは、びっくりすると髷がぴこ~んと立つのですが、この化け猫も白髪の老女の姿で、振り向くとき、猫耳がぴょこ~んと立つ・・・・監督はこういうのが好きなんでしょうか?
惨殺、といってもそんなに血は見せないのですが、白の碁石が血に汚れて、枕元にぽたりぽたり・・・と落ちるとか、怖いですね、同時に美しいです。
現代の主人公の医者は、呪いだとかそういうものは信じない現代的な人で、それがある不思議に巻き込まれてしまう、という脚本もいいです。
すぐに、呪いだ、血だ、怨念だ!と騒いだりしません。そういう冷静さもよかったです。
ラストが、急にからりとほほえましくなってしまうところ、後味妙に可愛らしいです。怪談話でも後味悪くないというのは、意外だったし、感心。
Mabeopsa-deul/Magician(s)
2005年11月20日 有楽町朝日ホールにて(第6回東京フィルメックス)
(2005年:韓国:95分:監督 ソン・イルゴン)
コンペティション作品
去年のフィルメックスでソン・イルゴン監督の『スパイダー・フォレスト/懺悔』を観たとき、監督がティーチインで、映画を作る時は、絵コンテから段取りまで、最初にきちんと決めて、アドリブで撮影をしていくということはしていない、と話していました。
そして今年、この『マジシャンズ』では、それをより一層、つきつめて、95分1シーン、1カットという手法をとりました。
森の中にぽつんとある山小屋、ここは1人の青年が「マジシャンズ」というバーにしている。
「マジシャンズ」というのはこの青年が、男2人と女2人、4人で過去結成していたバンドの名前でもあります。女性ギタリストが自殺して、解散してしまったのですが、この山小屋にかつてのメンバーが集まってくる。
しかし、自殺してしまった女性、チャウンも幽霊でなく、何故か当然のように「そこにいる」
そして、一晩の宿を求めて、お坊さんがやってきます。このお坊さん、元はスノボーの選手で、寺を去り、山を下りる所だという。
そして預けてあったスノボーを取りに来たのだといいます。
カメラはまず室内の一階から二階までも、流れるように動いていき、そして、外にも出ます。夜の話なので外に出るとまるで舞台のスポットライトがつくように、ぱっと輝く。
カメラもDVで撮影して、休みなく動くのは大変だと思いますが、それにあわせるこの照明、ライティングの技術も凄いと思いました。
色はとても綺麗で、映画は緊張感があふれています。
しかし、お坊さんを1人入れたことで、3人+1人の閉塞的な物語ではなく、観客を混ぜているというのが、考えているなぁ、と思いました。
ロングショットを多用する映画というのは、意外とたくさんあるのですが、この映画は実験的というよりほとんど挑戦的。映画の限界に挑戦!です。役者さんは、舞台の人を使ったというのは、この映画が、舞台のように切れ目なく続くからで、でもリハーサルは、所々やって、撮影に臨んだといいます。
舞台だと、観客は舞台のどこを見てもいいわけです。しかし映画になるとカメラの視線で一緒になって動いていく体験になるのですね。
この手法はかつて『エミルタージュ幻想』というロシア映画でも使われた手法ですが、リハーサルに一年かけたといいます。
しかし、この映画は、一発勝負!という緊張感が、どんどんじわじわ出てきて、人間関係も変化していくのをじっくり追っています。
娯楽性があるのに、手法は実験的で、舞台的。照明はロケの為、普通の映画撮影に使う2倍の照明を使ったというのも納得です。
私は、外に出て林に出たときの、まばゆいばかりの照明が部屋の電気のスイッチをぱちんと入れたように、ぱっとついて、ぱっと消えるというのが驚いたと同時にとても美しいと思いました。効果的。
映画を楽しむ人も堪能できるのですが、映画を作っている人にとっても大変興味深いだろう、シネフィル的な映画です。
亡霊怪猫屋敷
2005年11月22日 東京国立近代美術館フィルムセンター大ホールにて(第6回東京フィルメックス・特集上映 監督中川信夫)
(1958年:日本:69分:監督 中川信夫)
化猫映画であります。
現代のシーンはモノクロで、そして主人公の医者夫婦が、住む事になった屋敷の因縁話は、綺麗なカラーで撮影しています。
ホラー映画というのは、「びっくりさせる」いきなり何かが、ばっと出てくるというドッキリが、ホラーにつきものになってしまっている気がしますが、あくまでもこれは怪談話。まったりとしたムゥドがいいですね。そして出てくる女性たちが皆、美しい。綺麗。
傲慢な家老に惨殺された、ある一家の猫、タマが「末代までたたってやるぅ~~~」という飼い主の意志を引き継ぎ、家老の屋敷にとりつくわけです。
何故、惨殺されたか、というのが、碁の勝負に負かされてしまった怒りからという、なんという動機だ!って感じなのですが、権力者の気まぐれから不幸になってしまう人々の戯画的な挿話です。
化け猫、タマは、屋敷の老女にとりついて、家老家に復讐をする。しかし、障子の影に猫耳がぴ~んと立ったシルエットと、化け猫、タマに操られてしまう様子も、丸ごと見せないで、上手い具合に日本家屋の仕組みを使って撮影しています。
また『とび助冒険旅行』でもとび助さんは、びっくりすると髷がぴこ~んと立つのですが、この化け猫も白髪の老女の姿で、振り向くとき、猫耳がぴょこ~んと立つ・・・・監督はこういうのが好きなんでしょうか?
惨殺、といってもそんなに血は見せないのですが、白の碁石が血に汚れて、枕元にぽたりぽたり・・・と落ちるとか、怖いですね、同時に美しいです。
現代の主人公の医者は、呪いだとかそういうものは信じない現代的な人で、それがある不思議に巻き込まれてしまう、という脚本もいいです。
すぐに、呪いだ、血だ、怨念だ!と騒いだりしません。そういう冷静さもよかったです。
ラストが、急にからりとほほえましくなってしまうところ、後味妙に可愛らしいです。怪談話でも後味悪くないというのは、意外だったし、感心。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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