秘密のかけら
Where the Truth Lies
2005年12月7日 九段会館にて(試写会)/2006年1月16日 日比谷シャンテシネにて
(2005年:カナダ=イギリス=アメリカ:108分:監督 アトム・エゴヤン)
アトム・エゴヤン監督のミステリー映画・・・というと私はピンとこなかったのですが、観てみると社会性がベースになっています。
一応、1972年、アメリカの若い女性ジャーナリスト(アリソン・ローマン)が、15年前人気だった2人のボードビリアン、アメリカ人のラニー・モリス(ケヴィン・ベーコン)とイギリス人のヴィンス・コリンズ(コリン・ファース)のコンビ解消の原因となった女性殺人事件を、ヴィンスにインタビューして暴露本として出版しようと近づいていくうちに、ミイラとりがミイラになってしまう・・・といういきさつ。
そして1958年のアメリカのテレビ界の様子が細かく映し出されます。39時間テレソン(日本の24時間テレビのようなもの・・・チャリティーの為のテレビ+マラソン)番組の様子。
陽気で軽率なキャラクターのラニーを、英国紳士風の真面目なヴィンスがいさめる・・・というパターンがこの2人の「売り」
ラニーは失礼にあたる暴言を繰り返し、陽気に歌い踊る・・・それを脇で呆れたように眺め、止めるヴィンス。このシーンは、ケヴィン・ベーコンとコリン・ファースが即興的に演じているそうですが、この2人の組み合わせって想像もつかない絵ですが、50年代のテレビシーンにすることで上手く、当時の雰囲気などが伝わってきます。
実は、ステージを離れると、この2人キャラクターが逆なんです。スター、時代の寵児ですから、金も女もドラッグもやりたい放題ではあるけれど、暴力性を秘めているのは、英国紳士キャラクターのヴィンス。ラニーは、ステージを降りるとおどけた顔が一瞬のうちに真顔に戻っている。
この2人の落差の演じ方が素晴らしいです。大人の表と裏、スターの表と裏、テレビ、ショウビジネスというものの表と裏。
しかし、テレソンを終えて記者会見をするホテルに移動するとその風呂場に若い女性の溺死死体が発見される。
何故、先回りしたかのように、女性の死体があるのか?真相は闇に葬られてしまったのですが、15年たって女性ジャーナリストが、その「ネタ」の真相を追おうとする。スターの暴露本を出して、名を上げたいという、スターの裏の暴露を見たいという欲求の象徴。
ここで15年後のラリーとヴィンスが出てくる訳ですが、テレビでは若い・・・しかしもう中年になってしまった2人というのがまたびっくり。
同じ人が演じているとは思えないのです。
ジャーナリストの女性、カレンは、偽名を使って、ラリーにも近づく。客観的に取材するというより、事件に飛び込んでいくような危ない取材を体を張ってやろうとする。しかし、2人はそれぞれ当時の真相は、話さない。逆にしつこくつきまとう若い女性を、罠にはめていく。
ヴィンスがカレンを、意味深な舞台、『不思議の国のアリス』に連れて行って、そこでは「私を飲んで」と書かれた薬のビンをアリスが飲む所をミュージカルにしている。
その通り、薬、ドラッグというのがこの策略のキー。まさにアリス(=カレン)が飲む薬は「麻薬」
謎ははきはきと解明されない、かといってとってつけたように謎解きも始まらない。
けだるいような音楽が常に流れ、テレビではキラキラとした世界が繰り広げられている。カメラはゆっくり視線を移すかのように流れ、また、意味深なムードの曲が流れ・・・・虚と実の狭間のある危ない一線を行ったり来たりしているよう。
その危ないムードが全編を貫いています。犯人は誰だ、動機な何だ・・・そんな事よりも、やはり全てのものに光と影、表と裏がある、という謎を追うような・・・観ている方も一緒に流されてしまうような・・・そんなトリップ感覚に陥る映画です。
ケヴィン・ベーコンは、年をとったとはいえ、その体つきはやはり若いし、鍛えているし・・・でももう中年である・・・という15年の時間をあっという間に飛び越えてしまう演技力が良かったですね。コリン・ファースは表情が読めない固い瞳が迫力。
ちょっとブライアン・デ・パルマ監督の『殺しのドレス』を思わせる音楽とカメラワークが、ふらふら酔いそうで素敵です。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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