深海 Blue Cha-Cha

深海 Blue Cha-Cha

深海

2006年9月5日 新宿 武蔵野館にて

(2005年:台湾:108分:監督 チェン・ウェンタン)

 深い海に沈んでいくような心。

誰にも救えないような深い底のない海に沈んでいく心。

上を見ても光が見えない。下を見ればそこには暗闇があるばかり。

 主人公の女性アユーは、そんな心を抱えている。そして刑務所から出たアユーから映画は始まります。

アユーが行った先は家族ではなく、同じ刑務所仲間だったアンという中年女性の家。

アンはナイトクラブのママで、アユーを家に入れ、ナイトクラブでの働き口まで紹介する。

 アユーは若くて綺麗なので、ナイトクラブですぐに男性客に見込まれ、愛人になる。

「頭の中のスイッチが入ったら自分で切れないの」・・・そうアンに説明するアユーは、喜んでついていくわけではないのですが、愛人となるともう夢中になり、べったり依存してしまう。遊びのつもりの男性は、金は出すけれど、そんなにまとわりつかれてしまっては困る、とすぐにアユーを捨てる。

また、アンの紹介で今度は工場に勤めるアユー。そこでも、すぐに若い男性社員、シャオハオの目をひき、そうなるとアユーはさっさとアンの家を出て、シャオハオの家に転がり込んでしまう。

自分で自分を楽しませる事が出来ず、薬に頼り、男に依存しかできない美しいアユー。

シャオハオは優しいけれど、だんだん、そんなアユーの存在がつらいものになってしまう。

 綺麗で若い女の子。それだけで、男の人はすぐ近寄ってくる。しかし、その内面(深海)をのぞいてしまったとたん、人間関係は破綻する。

アユーというのはとても不器用な綺麗な女の子ですが、決してわがままではない。ひたすら、いつでも不安でたまらないのです。

そんな様子をアユーを演じたターシー・スーは、滅多に笑顔を見せない、憂鬱な沈んだ顔をしてひとりで自分の心をもてあましている様子を演じていました。

アンの経営するクラブではけだるいチャチャチャの音楽が流れ、ステップを踏むアン。踊れないアユー。

チャチャチャを踊れる女と踊れない女、という対比のさせ方が綺麗でもの悲しくて良かったですね。

 舞台となるのは高雄、港町。いつも、海があって、船が通る。映像は静かでもの悲しい。もう、刑務所から出ても行く所のないアユーが、男の人からの依存からやっと離れ、ちょっとだけ光を見つける・・・そんな繊細さがずっと漂っている映画です。

派手な映画ではないのですが、沈んでいく心の行き場所というのは何処なのだろう。そんな事を思います。

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