撤退

撤退

Disengagement

2007年11月18日 有楽町 朝日ホールにて(第8回東京フィルメックス)

(2007年:イスラエル:115分:監督 アモス・ギタイ)

特別招待作品

 去年のアモス・ギタイ監督の『フリーゾーン』は、とても興味を持って、映画の後、ヨルダンだとか、フリーゾーンのことだとか、長い時間かけて調べたのですが、この映画は、個人的には東京フィルメックスの中で、印象の薄い映画です。

 2005年のガザ地区からのイスラエル人撤退問題・・・が騒がれたことがあったのですが、この映画では、ガザ地区から撤退させられそうになる人々の中に実は自分の娘がいた、ということが父の死の遺書からわかったフランス人女性、アナ(ジュリエット・ビノシュ)が、ガザ地区に娘を捜しにいく旅で、映画はフランスから始まります。

 父はイスラエル人の男性を養子にしていてアナからしたら血のつながらない弟がいます。

父の葬儀から遺産の事まで、今はイスラエルにいるウリが、フランスにやってきます。

 どうも、このアナという女性は、「自分の娘がイスラエルにいる」ということに、気がつくのが遅すぎるというか、無頓着というか。

妙に覚えているのは、フランスにやってきた弟、ウリの前で、自分のハダカをちらっちらっと見せるところで、なんでこんなことするのかなぁ、と思いました。

ウリとの関係は深く描かれないのですが、ウリは、うんざりしたような顔をしてそんな挑発というか、からかいにのってこない。

当たり前だよなぁ・・・なんて思うのであります。

 『フリーゾーン』の異邦人、ナタリー・ポートマンも「なにも知らない人」でしたが、ジュリエット・ビノシュは「なにも知ろうとしない人」という風に受け取れて、ガザ地区に行ったとしても、娘に会ったとしても、なんだか、無頓着な雰囲気を通しています。

 アモス・ギタイ監督は、政治的な背景が濃い映画が多いので、ガザ地区の撤退問題も、実は、25年前は「来て住んでくださいね」だったのが、急に「「出ていってください」「出て行け!」になったのですね。

もう、ブルトーザーで有無を言わさず、家を破壊してしまうのです。

 『フリーゾーン』のナタリー・ポートマンは、何に気がついたのか・・・ぱたぱたぱた・・・とどこかへ走り去ってしまう。

この人(国)は何処へ行こうというのか・・・という不安の出し方が、あの、どたばたどたばた・・・・という走り方がとても印象深いのですが、この映画のジュリエット・ビノシュは、何もせずに、立っているだけ。

まぁ、様子伺いばかりして、問題を見ようとしない諸外国ってことなのかもしれません。

しかし、この映画を観て、「ガザ地区撤退問題」に興味がわいたか・・・というと全くの外国人のわたしには、どうも、ジュリエット・ビノシュと同じような無頓着な無関心しかなくて、なんだか哀しくなってしまったのです。

 事情が全くわからない外国人にも、「へぇ?」と思わせるものを映画にすることは可能だし、そういう映画はたくさんありますが、この映画は、どうにも「なんだか哀しく立っているだけ」の自分を映す鏡のようです。

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