黄金の河

黄金の河

The Golden Line/Subarnarekha

2007年11月19日 有楽町 朝日ホールにて(第8回東京フィルメックス)

(1965年:インド:129分:監督 リッティク・ゴトク)

特集上映

 今年の東京フィルメックスの特集上映は、インドの伝説的巨匠と言われるリッティク・ゴトク監督特集でした。

インドといえば、世界で一番映画が作られる国で、娯楽映画の大国ですが、リッティク・ゴトク監督は、サタジット・レイ監督と並ぶ評価を得ている・・・しかも評価されたのは、没後であったという監督です。

 モノクロで、大胆なカット・・・大がかりなクレーン撮影などしているのですが、インドのというより、ベンガル地方の監督ということで、ベンガルというのは、バングラディシュなどとのからみもあり、大変複雑なんですね。

そして、歴史的には難民を抱える地域でもあったそうです。

 この映画は、難民の置き去りにされた少年と、裕福な兄と妹が一緒に暮らし、妹と少年が成長して恋仲になっても、カーストのせいで、身分違い・・・から起きる悲劇です。

 この映画の特徴は構成です。

ベルイマン監督の『ファニーとアレクサンドル』は、5時間を超える大作映画ですが、一時間ごとに章が別れていて、第五章まで・・・という構成でした。

この映画も、巻紙が出てきて、いわゆる説明の字幕が途中何度も出てくるのです。

 監督は、社会的な問題を描きたかったのかもしれませんが、兄と妹と少年の「ドラマ」を無理矢理、軸に持ってきているようなところがあって、巻紙と巻紙の間の「ドラマ」が、なんだか、もう、完結なのでは・・・?と思うと、巻紙でさらに続く・・・という。

 この映画を観て、ドラマと主張の描き方・・・ということを考えました。

時代が1960年代であっても、撮影などは大がかりで、「河を越えられないように、カースト(身分)を越えられない悲劇」というドラマの部分はわかるのですが、どこまでもどこまでも、続いて、永遠に続くのではないか・・・というめまいを覚えてしまいました。

 巻紙と巻紙の間を「章」ととらえると、各章のテンポとリズムが全く同じの繰り返しなのです。

その点、『ファニーとアレクサンドル』は、各章、世界が違う、どうなる、どうなる・・・というものがありましたが、この映画では、妹が兄に命じられて無理矢理結婚させられそうになるところ、難民だった青年が戻ってきて駆け落ち・・・を匂わす・・・河に紙の舟が流れていくところ、でエンド、にしても良かったかもしれないし、その後の没落生活を、また、巻紙で説明されると、これは個人的には、体感時間が長くなってしまう、という観る者の体力を奪うのです。

 それだけ、この監督は異色であり(特にインド映画では)、東京フィルメックスらしい選択だと思うのです。 

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