転々
2007年12月4日 新宿テアトルシネマにて
(2007年:日本:101分:監督 三木聡)
わたしは散歩というものをしません。
・・・・と書くとなんだか、余裕のない人のように思えるかもしれませんが、目的地もなく、ただ漫然と歩くことはないのです。
ただ、寄り道はたくさんします。
寄り道ばかりで、目的地に一向につかないような人生だ、なんて思うのです。まぁ、人生の目的地はなにかなんて難しいことはわかりませんし、わかろうとも思わない。
この映画は、散歩ではありません。
一応、登場人物には目的地があって、そこへ向かう途中の寄り道を描いた「寄り道映画」なのです。
三木聡監督の映画では、小ネタ、脱力ネタ、どうでもいいような面白いネタが満載ですが、過去の映画のように、それが連射される訳ではなく、あくまでも、映画の中のスピードはのんびり・・・・・。
のんびり・・・というのは、安心しているからのんびりできるのであって、主人公の文哉(オダギリジョー)大学8年生には、両親もなく、義父も逮捕されてしまいひとりになって84万円の借金がある。(借金84万円っていう金額が妙にリアルです)だから、のんびりとした気分には全くなれないのですが、無理矢理のんびりにつきあわされてしまう。
借金取り立てにきたのは、福原(三浦友和)という男で、あと、3日ね・・・と脅して帰っていく。
ところが、次の日、福原がやってきて、100万円の札束を見せて、「これから歩いて、霞が関に行く。つきあってくれたら100万円やる」と言い出す。
福原は妻を殺してきちゃったんだよね~~~で、出頭しようという訳。だからつきあってね・・・なんて、言われても、100万円もらえれば・・・と思うと文哉は断れない。
いつまでに・・・という期限はなく、あくまでも福原の思いつくまま、東京歩きが始まります。
井の頭公園から出発して・・・東京を西から東へ・・・てくてくと歩きながらの、寄り道物語。
まず、オダギリジョーは中途半端なアフロみたいな髪で、三浦友和の後ろ髪は妙に長く、髪型がなんとな~く気持悪いのです。
笑えるような笑えないような・・・そんな髪型の2人。
てくてくと歩く2人と同時に福原の妻のパート先である、スーパーも出てきます。
ここが、三木聡監督の常連さん、岩松了、ふせえり、松重豊なんですけれども、この3人の会話のテンポは、ポンポンポンと小気味いいくらいに、脱力会話。うまいですね、3人。
岩松了が店長らしいのですが、どうも、福原さん、出勤しませんねぇ・・・・・・ということから、3人で家に行ってみましょうか・・・という話になる。
でも、3人の会話は脱線しまくりで、急に、「店長のつむじ・・・・変な臭いがする!」「えっ!」「どれどれ・・・あっ!ホントだっ!」「え~~自分のつむじの臭いなんてかげないよう」「なんの臭いだろう・・・・・」「・・・・・・・・・はいっ!これは「崖」の臭いですっ!」
ここら辺は、もう三木聡監督ならではの会話ですよね。
一方、てくてくと東京を歩く2人は、福原の知人というバーのママ、麻紀子(小泉今日子)の家にしばらく泊めてもらうことにする。
なんだか、妙に、麻紀子の旦那然としている福原。
そこに姪のふふみ、という不思議な女の子が入ってきて、なんだか、両親と兄、妹の疑似家族のようになってきます。
このふふみちゃんという子が、かなりの不思議ちゃんで、お風呂から裸で悲鳴をあげて飛び出してきたり・・・他人である福原にも文哉にも、気兼ねなし。4人で遊園地に行こうか・・・なんてあたりになってくると、文哉はもう、「なくなってしまった家族の空気」を味わってしまい、離れたくないと思ってしまう。
アイドルだった小泉今日子も、なんともお母さん・・・という雰囲気が出てきて、さばさばとしているけれども、ちょっとおっちょこちょいなお母さん・・・でした。
しかし、所詮寄り道・・・福原が「行こう」と言い出す日がやってくる。
文哉は、気持複雑。なんともいえない家族の思い出を作ってしまった・・・・。でも、これはあくまでも、本当の家族ではなく、疑似家族なんだ・・・。
東京の散歩といってもこれみよがしな名所は出てきません。普通の人たちが普通に暮らす街を選んでいます。
東京を描く映画ではなく、東京を「歩く」映画なのです。
スピード感あふれる映画が多い中で、てくてくと歩く東京。
その風景は決して、観る者を圧倒しないし、かといって退屈もさせない。
この映画は、圧倒もしないが、退屈もさせない、寄り道映画なのです。寄り道は大切よ。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
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