次郎長三国志 第九部 荒神山

次郎長三国志 第九部 荒神山

2008年1月13日 東京国立近代美術館フィルムセンターにて(生誕百年 映画監督 マキノ雅広(1)

(1954年:日本:82分:監督 マキノ雅弘)

 本当は前後篇として撮影されて、後編が撮了せずに、前編だけで終わる・・・本来だったら第十部作になるはずだった・・・・第九部。

 石松の仇をとろうと旅に出た子分たちが、逆に罠にはめられ、追われる身に。

しかも、関係ない農民の家に火をつけた・・・と火つけの罪までなすりつけられて、農民たちからも、攻撃されていまう一家。

次郎長親分は、火つけ・・・・ということに怒り、勘当されて、ますます悲壮感が・・・・って随分、重い雰囲気で始まるのです。

なんだか社会派映画のようです。

 まぁ、約50年前の映画であっても面白いことには変わりないのですが、困ったことには、言葉がね・・・・今は使ってはいけません、禁句がどばどば出てくるんですよ。

たとえば、この農民も映画では「百姓」となっていて、子分たちはお百姓衆!なんて言うわけです。

映画のセリフそのまま、書けないつらさってものを、感じましたね。

しかし、なんとも雰囲気が出ませんね、農民・・・では。あと、よく子分たちが「バカ野郎」とかぽんぽん言い合うのも・・・石松が吃音だというのも・・・なんとも苦しい文章だと自分でも思います。すみません。

ビデオにもなっていないけれど、日本映画チャンネルなどで放映されたら、みてね・・・。

 しかし、伊勢国荒神山に流れてきた一行が巻き込まれる、荒神山の賭博場争い。石松の仇も巧妙にそこにまぎれている。

時は、夏で日照りで雨がふらない。農民たちは山で雨乞いをしている・・・・・・・・

・・・・・している・・・・・・ところで・・・・・

「終」

・・・・え。

・・・・え。

・・・・・・・・絶句ものですね。しかも、後編の予告編がついていて「撮影好調、乞うご期待」とかついていて・・・その後どうなったか、ひっぱられるけれど、公開はここまで、で未完のまま・・・・の次郎長三国志。

 どういう事情があったのか知らないけれど、これで当時の観客は満足したのかなぁ。

わたしは、続けて観てしまったけれど、待っていた人たくさん、いるのではないのかなぁ。

 本では作者が死んでしまって「絶筆」という未完のものがあるわけですが、マキノ監督、別に死んだわけでなし。

なにが起きたのか、マキノ組。なぞです。

 いや~~~こんなお別れはイヤって感じで・・・

しかも、このあと、マキノ監督自ら、このシリーズの中からリメイク版を作っています。リメイク作る前に完結させて欲しかった・・・

ああ、ため息。 

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