月光の囁き

月光の囁き

2008年2月11日 DVDにて

(1999年:日本:100分:監督 塩田明彦)

 わたしはこの映画、とても好きです。

原作者の喜国雅彦さんは、漫画家の他に日本ミステリ小説の古本蒐集家として有名であり、わたしは、喜国さんの古本についての本でこの映画のことを知りました。

 初期の江戸川乱歩とか横溝正史など大変お好きな喜国さんです。

あの、猟奇的で美しくて妖艶な罪・・・・そんな世界がわかっている人だと思うから、「ただの変態」以上の底力はありますね。

 久世光彦の小説『雛の家』では、戦前の昭和の人形問屋の次女は、こっそり、消しゴムにボールペンで「罪」と書く・・・という出だしから始まりますが、この映画ってそういう「消しゴムに刻印した罪という文字」みたい。

 ただの変態、ただの意地悪ではすまされない、ねじれたものをもつけれど、素直でもあり、純粋でもあり、困惑であり・・・・といったいろいろな要素を持ち合わせています。

 これは、塩田明彦監督の初長編映画でした。後から知って、あら、お得だったわ、なんて。

 ある田舎町の高校生、拓也(水橋研二)と紗月(つぐみ)

2人は剣道部に入っている。

紗月が好きな拓也は、ロッカーの鍵があくことを知って、紗月のものをこっそり収集している。

そんなことを知らない紗月は、拓也に告白してきて、最初は初々しくつきあう高校生のふたりです。

 しかし、ひょんなことから紗月は拓也が自分の靴下や写真など・・・はてには・・・といったことを知り、「変態!」と激怒する。

嫌がらせのように、あてつけのように先輩の植松とつきあいはじめる紗月。

それでつきあいはおしまいにならない。

 むしろ、これからが、拓也と紗月のつきあいの始まりでした・・・というのが映画のメインです。

黙って、でも紗月を見守る拓也・・・ショックを受けた憎しみから・・・・植松先輩とつきあうのを全部、見ろ!といやがらせをする。

黙って従う拓也。何も言わない拓也。

そんな拓也に、紗月は、困惑と怒りと憎悪のあまり、その屈辱を味あわせてやる・・・・をエスカレートさせていく。

しかし、エスカレートすればするほど、お互いの関係は深まっていくのです。

 拓也をいたぶると、妙に満足感があることを知って、驚き、困惑して、でも拓也をいたぶることはもうやめられない。

その時のつぐみの目がぎらぎら光る、目の力。

「意地悪や、いうことがわからんのか」と紗月は言うけれど、黙っている拓也。

自分はこんな満足感があったのか・・・・と知らなかった自分に気がつく紗月。だから、紗月の気持というのも複雑です。

こんなことしていいのか・・・・という戸惑いの表情が見え隠れするのですね。

確信は持っていなくて、疑問と困惑にある意味悩まされることになる紗月。自らわかって、楽しんでいるのではない、というところです。

 拓也を演じた水橋研二が、いつも穏やかな表情をしていて、苦悩の表情は見せない。紗月に何をされても言われても、黙っている。

別に、いじめられることが自分の快楽ではないけれど、やはり紗月の「罪深さ」には魅力があって、離れることができない。

同時に、何を命令しても「従ってしまう」拓也・・・紗月にとってもう拓也はなくてはならない存在になってしまうという。

 別に紗月と植松先輩のつきあい・・・だったら、嫌になったら別れる、ですむところ、「いじめ、いじめられる」という根本的なところで、紗月と拓也は結ばれてしまっている。

 何も知らない植松先輩はそんな2人を見て、理解できず、驚きますが、拓也と紗月はいきつくところはねじれてねじれてねじれきったら元に戻った・・・・のような。

紗月は、「普通の17歳の恋がしたいんや、つきあいがしたいんや!」と拓也をなじりますが、並べたてるのが結構、平凡というか、え、そんなことしたいだけなの?というもので、だったら拓也と紗月の微妙な関係の方がよっぽど深い愛情のようなものを感じてしまいました。

サディストとマゾヒスト・・・・といってしまったら身もふたもないけれど、自分が本当に必要としているのは、自分を本当に必要と思ってくれているのは誰か?

 決して万人向けのさわやかな青春映画ではなく、ただただ「好き好き」といって好き合うだけが男女のおつきあいか、というと「苦」というところで結ばれることもある、という人間の深さを覗き込んだような。

それを、まだ自分のことがよくわかっていない高校生、若い人で描き、「自分に気が付いていく」という恋愛以前の自分発見のような要素があるところこの映画、一筋縄ではいかないのです。

最初は反発しあっていた2人が、なんだかんだいって結ばれて終わり、のよくある恋愛映画の真逆をいっていますよね。

それを、あくまでもソフトに、力むことなく、自然に、上手く省くところは省いて見せるという技を感じる映画。

 ポスターが水橋君が頭に包帯巻いてて・・・・という写真で、映画観ていて、まさか、、、、こうなるのか。。。。とドキドキしてたら・・・・あああああって。

どこ、という特定の場所は出てこないのですが、関西弁でもない、やわらかな方言での言葉使いを使った、というのもこの映画をソフトな印象にしている大きな要因のひとつだと思います。 

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