ハーフェズ ペルシャの詩

ハーフェズ ペルシャの詩

Hafez

2008年2月24日 東京都写真美術館ホールにて

(2007年:イラン=日本:98分:監督 アボルファズル・ジャリリ)

 愛の物語。

 わたしは軽々しく「愛」と言いたくないし、書きたいとも思いません。

「好き」くらいを「愛」などと安直に使いたくはありません。

しかし、この映画は、この映画の崇高さは、まさに「愛の物語」だと、つくづく思いました。

 ハーフェズいうのは、コーランを暗唱して人々に伝えることのできるいわば称号のようなものです。

ハーフェズになるためには、厳しい試験を受けなければならない。名誉ある称号です。

そのハーフェズと認められた青年、シャムセディン(メヒディ・モラディ)は、師匠の娘、チベット生まれの女性、ナバート(麻生久美子)にコーランを教えて欲しいと頼まれる。

 チベットからやってきたばかりで言葉もたどたどしいナバートに、淡々とコーランを暗唱するものの、その女性の美しい「声」に・・・・シャムセディンは恋をしてしまうのです。

お互い話をするわけではない、触れあうわけでもない、ただ、コーランを、詩を読む声に心が乱され・・・そしてそれは、大変な罪・・・とされ、ハーフェズの資格を奪回されてしまう。

 外にあるのはとにかく厳しい戒律と砂塵の舞う荒涼とした風景だけ。

どんなに責められても、青年は何も言わず、いいわけせず、ただ、苦難を受け入れる。

そして、「7人の処女に鏡を磨いてもらう」という修行に出る。

 鏡を抱えて、荒涼とした地を歩いていく青年。ペルシャの光に反射する鏡の光。

しかし、その修行とは「愛を得るための修行」であり、青年は「愛を忘れるための修行」なのだ・・・とまた責められることになる。

なにをしても上手くいかない青年。しかし、黙って鏡を抱えて歩く。

また、この映画では鏡、というものがいくつかでてきて、コーランを学ぶ時は、鏡にインクで文字を書いて、川の流れでそれを消して、また使うのです。

 現実的な戦争だとか、紛争だとか、宗教問題などはなく、寓話的な映像の数々ですが、水の少ないところで、鏡を磨くためにたらされる水・・・鏡と水というものの使い方など神話的ですらあります。

 ナバートといえば、師匠の息子と結婚することになる・・・しかし、結婚相手の男の人は、ナバートの心が自分にないことを見抜いている。

そして、何も言わないナバートですが、結婚相手の男の人はどこで修行をしているかわからない青年を探しにいくのです。

 そして、苦労して磨いてもらった鏡は、最後に粉々に割れる。

しかし、鏡というのはひとつだけではない。別の鏡があり、別の意味を持つ。そんな救いを見事な映像でラストにした崇高さに感動しました。

 この映画では修行、だけれども、たとえば、仕事とか、生活とか、「おもしろいことばかりではない」ことを続けることとは、いつか割れてしまう鏡を磨いているようなものかもしれない・・・と思いました。

 この映画の撮影の最中に、ジャリリ監督はもう一本映画を作っていて、それが2005年の東京フィルメックスのクロージング作品だった「フル・オア・エンプティ」です。

「フル・オア・エンプティ」は、微笑ましい映画であって、この映画とは違うのですが、上手くいかない戒律、だけの中での青年・・・という別の面を見せています。

「フル・オア・エンプティ」の主役の男の子が、青年の友人、として出演していました。

2本、観て、なるほどなぁ、と思う戒律の世界であります。 

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