春、バーニーズで
2008年3月2日 DVDにて(劇場未公開)
(2006年:日本:120分:監督 市川準)
市川準監督は、主演した西島秀俊について、「いいようもない疲労感の人」そして「もぬけのから」という表現をされていました。
悪い意味ではなく、市川準監督の映画には、そういう人が必要なんですね。
『トニー滝谷』のナレーションをやったときも、その声からにじむのは「疲労感」だったし、まさに「もぬけのから」になってしまう男の話であったし。
中身がぎっちりつまっていて、引出がいっぱいあって、どんな役も百変化、という役者さんが注目されがちなのですが、こういう、「普通の人が無意識に持っている疲労感」というものをきちんと出せる人、というのもめずらしい存在だと思います。
この映画では、別に仕事に、生活に・・・嫌気がさして疲れきっている男の話ではありません。
むしろ、子連れとはいえ、好きになった女の人と結婚して、子供とも、妻の家族とも上手くいっている。仕事もきちんとこなす・・・そんなある30代のサラリーマンの日常。
別に「疲れた」という言葉は出てこないのですが、ふと、電車にゆられているとき、会社の会議のとき・・・ふ、と見せる憂鬱と疲労。
決して無理をしているわけではないのだけれど、不満があるわけではないけれど、ふ、としたときに遠くを見る目、または、相手と話していて口は笑っていても、笑っていない目。
10代、20代ならともかく、30代あたりになると、「もし・・・あのとき・・・」というIFは誰もが持つものだと思います。
たぶん、この映画を退屈だ、と思う人は、今の生活に満足しきっていて、何も変わって欲しくない・・・と確信している人かもしれません。
それは、何気なく話すことにあらわれています。
高校の修学旅行の時、日光の石の下にそっと自分の腕時計を隠してきた・・・・それはまだ、時を刻んでいるのだろうか・・・思うことがある。
妻(寺島しのぶ)は、気がつかないけれど、妹(栗山千明)はそんな「あやうさ」を直観的にさとって、「いつかあっちの時間に行ってしまうかもよ」と姉に言うけれど、姉はそれが何のことか、わからない。
もちろん、喧嘩もしないし、子供はなついているし、仕事を辞める気もない。
でも、あの、高校生のとき置いてきてしまった腕時計のことが、頭をよぎるのです。
今している腕時計が刻む、生活と仕事の時間。
過去に置いてきた10代だった自分の時間。
そしてもうひとつは、過去にしたことを「隠す嘘」
夫婦は、嘘はつかないようにしよう・・・と言っていますが、本当なんだろうか、嘘なんだろうか・・・2人共、過去に隠し事がある。
映画はそれがどうした・・・とは問い詰めません。
大人だったら、持っているはずの「もうひとつの時間」と「今さら言いたくない、隠したい真実」をさらりとスケッチしてみせるだけです。
2つの時間という比喩ですが、これは、もし、~してたら?もし~だったら?今はどうなっているのだろう、という迷いに他ならない。
そんな迷いは誰でも持つもので、わたしだったら、もし、「時計」なら、一体過去にどれだけたくさんの時計をあちこちに「隠してきたか」
そして、やはり、それは時を刻んでいるのかもしれないし、もう、止まってしまっているのかもしれない・・・と思いました。
市川準監督らしい、四季を感じさせる歳時記のような風景と、何気ないような人々のある生活を「2つの時間」という描き方をしたのが秀逸ですね。
更夜飯店
過去持っていたホームページを移行中。 映画について書いています。
0コメント