タッチ・オブ・スパイス

タッチ・オブ・スパイス

Politiki kouzina(A Touch of Spice)

2005年2月3日 銀座ヤマハホールにて(試写会)

(2003年:ギリシャ:107分:監督 タソス・ブルメティス)

この映画は、とてもナレーションがタイミングよくユーモアにあふれていて、構成も料理になぞらえて「前菜」「メイン」「デザート」という3つの章に分れています。

映画は宇宙をバックに赤い傘がふわふわしている絵から、赤ちゃんに母乳を飲ませるために・・・というちょっとどっきりするシーンから始まり、語り手となる、主人公のファニスが大学で天文物理学を教えている所からはじまります。

・・・ということはファニスは大人になってからの職業は天文物理学教授であって、料理人ではないのです。

ギリシャで大ヒットした理由というのは、戦後のギリシャの歴史が上手く描かれているからだと思いますね。

私は、ギリシャとトルコの戦後の関係、というのは身をもって知らないわけですけれども、そこら辺の説明が少年ファニスを中心とした家族を描くことできちんとわかるようになっています。まず、そこが上手い。

トルコで暮らしていたファニス一家。おじいさんは、スパイス屋さん。そこで、ファニスはおじいさんからスパイスのあれこれを見て覚えるのですが、おじいさんは、スパイスを使って天文学の勉強も教えてくれます。

おじいさんの語り口はとても巧妙で、それにファニスのナレーションが重なってユーモア感たっぷりだし、スパイス屋さんのお店の雰囲気が、もう、宝の蔵のように思えてきます。

しかし、ギリシャとトルコが緊張状態になって、トルコのギリシャ人は強制退去させられ財産も没収。おじいさんはトルコ人なので離れて暮らすことに。

そしてファニスは、誰からも料理を教わらないのだけれども、とにかくギリシャの女性は料理に熱心。お嫁に行く女性がいると近所の人が集まって料理の特訓。それを嬉しそうに見て、成長していくうちに料理の達人になってしまうファニスです。

親が、男の子らしくなって欲しいと、ボーイスカウトに入れたりしても、娼婦の店の台所に立って料理の腕を磨いてしまう始末。

端から見ると、頼もしくて、好きなことをやらせればいいのに・・・と思うけれど、しかし親としては、困るわけです。男は料理なんかしない、それがギリシャの普通の家庭だから。女性は料理がうまくなければいけない、料理出来ないなんて嫁の資格ありません、みたいな先入観って日本にも通じるものがありますね。

反面、ファニスの楽しみは料理だけのようです。そしてトルコにいるおじいさんや初恋の女の子のことをいつまでも忘れることが出来ず、料理に熱心になる、というのがちょっと切ないですね。

途中で、大人になったファニスの姿が出てきますけれど、孤独感が漂っています。そして離ればなれになっていた初恋の女の子との再会。しかし、大人になってからのファニスには何故かいつも孤独感がつきまといます。

国の政策によって苦労したのは親の世代。子供であったファニスは直接苦労はしていないけれど、料理にしか喜びを見いだせない、そんな姿に子供たちが経験した苦労が凝縮されています。

しかし、全体的にはどんなシビアな状況になっても、ユーモアを忘れない物の見方、料理を作り、食べる楽しみがあふれています。家族にパーキンソン病の叔母さんがいるのですが、女達の料理教室には必ずいて、何も出来なくても顔出してます、というのが可笑しいし、どたばたの中で病気が治ってしまったり、また再発してしまったり・・・を淡々とした中にもまったりとしたユーモアがあって、キリキリしていないのがこの映画の美味しい所ですね。そして美味しいだけでなく、ちょっと苦いスパイスも効いています。

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