アダン

アダン

Adan

2005年10月25日  ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズにて(第18回東京国際映画祭)

(2005年:日本:139分:監督 五十嵐匠) 

アダンというのは、奄美大島や沖縄にはえる木の事で、その実は形はパイナップルに似ていますが、葉は細く不思議な熱帯植物。

主人公の実在の日本画家、田中一村(榎本孝明)が、奄美大島に移住してアダンに魅せられその絵をたくさん残しています。

日本画の持つ、透明感から離れた、油絵のような濃い色使い、大胆な構図。植物画のような緻密な世界。

田中一村という人は知らなかったので映画を観た後、少し調べたのですが、明治後期に生まれ、美術学校に入るものの退学、独学で新しい日本画をめざすものの、画壇からは一切無視されて、絵を売ることも拒み、そして単身奄美大島に移住して、世に認められずその生涯を閉じた人。

今までの榎本孝明という人は、どちらかというと紳士的な役が多かったのに、この映画では、一種の狂気の人、一生涯、日本の画壇を憎み、自分の実力だけを信じて、絵を売ることを良しとせずほとんど自傷的な生活を送った様子が、血気せまるものがあります。

自信満々なのはいいけれども、あまりにも高慢、生意気、傲慢・・・そして生活力は全くない。絵だけ、私は描きたい、と妥協を全く許さない潔癖さ。

画家になる、ということは、自分の絵を売って生活するという「仕事」な訳で、画壇に認められるにはそれなりのコネや、人間の上下関係の妥協が必要な厳しい世界。

そんな中で、異端児扱いされながらも、どんどん絵にのめり込んでいく、その課程がどんどん暗い井戸の中に落ちていくようです。

実際そうだったらしいのですが、一村は、菜食主義者で「一日バケツ一杯の野菜と酢だけあればいい」と手紙に書いているように、もう絵の為なら、自分の体の事などどうでもよろしい。絵だけ描ければいいのだ、とにかく自分はいい絵を描くのだ・・・というあまりにも絵以外は不器用な人。こんな人がいたとはドキュメンタリー映画を観るようでびっくりします。

一村は「自分は猿回しや旅芸人のような芸はない」と言って、自分の絵を売ることを断固、拒否します。奄美大島に移住してからは、絵を見せるということすらしない。

そして紬工場で、2年働き貯金を作り、3年絵を描いて過ごすということを繰り返します。ものすごく節約した生活で、不器用と書きましたが、一種の貯蓄の天才。

そんな一村が唯一心を許すのが、一村の為に仕事をして影で支えた実姉、喜美子(古手川祐子)。

さすがの一村も「生活力のない私は顔向けが出来ない。私に命令出来るのは喜美さんだけだ。どうか後ろ姿を描かせて下さい」というのが痛々しい。

一村の為に結婚もせず、奄美大島に行きたいと言えば、「行きなさい。お金は送ります。」ときっぱりしているこの姉っていう人が、明治の人って感じで良かったですね。

もう目をぎらぎらさせて、絵を描く榎木孝明、迫力。筆を舌でしめらせて舌を真っ黒にしながら絵に没頭する姿。シャモの姿に魅せられるとしつこく追い続ける。

自分の夢や希望を達成するためには、これだけやらないとダメなんでしょうが、この人は気性ゆえ、認められる事はないという現実。

評価されたのは死後です。こういう人は驚きに価するけれども、同時に疲れる人でもあります。あまりにも自分というものが大きすぎて。

しかし、一村は自分はもう絵だけで生涯を閉じたいと、40代から決めているという潔さも感じます。周りに迷惑はかけない。

榎木孝明の姿は、本物の田中一村によく似ていて、しっかりと地に足がついた映画です。

〔映画祭こぼれ話〕

舞台挨拶があり、プロデューサーの水野清氏が、かなり雄弁で、この映画の苦労を語られていました。

資金集めに苦労して、監督が5人も辞めていったこと、一村の家族から、映画撮影の最中に「映画にするのはやめて欲しい」と申し出があり、裁判沙汰になったこと、そのせいで奄美大島の人々が協力的でなくなって苦労したこと、そんな中で、一部の人々が、ずっと映画を支援してくれたこと。

映画を見終わった後は、水野氏が一村に思えました。『アビエイター』という映画は結局、こういう事だったのかなぁ~と今更ながら。

主演の榎木孝明さんは、映画の中とはうってかわって、素敵な洋服でしたが、「役者というのは自分のやりたいことだけやらせてもらえる、幸せな仕事。この一村の役はもう、5年前からオファーされて演じる日を待っていた」ということでした。

映画の中の一村とは全然違うので、役者というものは凄いものだと思いました。

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